こんにちは。和尚です。
今、あのキムタクこと木村拓哉さんが再ブレイク。CMや映画にと、老若男女に大変人気があります。
最初のブレイクはSMAPの時。彼のロン毛でアメカジスタイルは、私の学生時代大いに流行り、まわりはほとんどロン毛でキムタクと同じような格好の人たちばかり。そんな人たちが集まってグループができるほどでした。(私はしていませんが・・・)
憧れや注目されることは人々の興味をそそり、誰しもが真似をしたくなるものです。
また同じものを所有していないと仲間ではないという意識にもなっがってしまいます。
「人の真似をしたいけどカッコ悪い?」という心理について、ちょうど先日、地元の新聞に私の次女の投稿が載りましたのであわせて紹介させていただきます。

「自分だけ」はいやなタイプ
私はすぐにお姉ちゃんや友達のまねをしてしまいます。私は自分だけというのが嫌なタイプです。
この前だって友達とおそろいの筆箱を見つけて買っておそろいにしました。ついでに筆箱につけるキーホルダーもおそろいにしてしまいました。
だいぶん昔、おばあちゃんの家でお姉ちゃんと絵を書いていました。お姉ちゃんは絵がとても上手なのでまねしたくなって絵をまねしました。ばあちゃんがそれを見ると、「〇〇ちゃん(下の娘)の絵もみたいな。お姉ちゃんのまねばっかりしちゃだめだよ。」と少し怒られました。
私は今でもずっとまねをしちゃうタイプだから、お母さんにもまねばっかりするねと笑われてしまいます。
私は少し心配になりました。まねばっかりするとお友達に嫌われるんじゃないかと・・・。なので、今はまねをするのを気をつけています。
うちの娘は2人で、中学1年生と小学5年生。
上の娘はおっとりとしていて、とても絵が上手。いつも自分の世界を持っていて、1人でコソコソと絵を描いているタイプ。
そして下の娘。とてもヤンチャでお友達もいっぱいの元気タイプ。勉強の字や、おねえちゃんの絵をまねして描くときの筆圧がやたら強い。
普段は楽しそうにしているけれど、この投稿をみるとこんなことを考えているんだなあと少し笑ってしまいました。本人は気にしているとは思いますが・・・。
さて、「真似る」ということは悪いことなのでしょうか。

基礎と応用
実は「真似る」と「学ぶ」という言葉は、「真似ぶ(まねぶ)」という語源からきています。
「真似る」は「真に似せる」、「学ぶ」は「誠に習う」からきているそう。
さらに「習う」という字は、ひな鳥が親鳥のまねをして、バタバタと羽ばたかせて飛び方を繰り返し練習するという意味もあります。
よく「自分は人のまねをするのは嫌だ」「自分のやり方でやりたい」という方はいます。私もこの部類。なぜなら、指図されたりオリジナリティを否定されるのが好きではないから。
たぶんほとんどの方が同じ思いなのではないでしょうか。
しかしこの「真似ぶ」という言葉があるように、手本となるものをひたすら真似することが非常に大切なのです。

ボクシングの世界チャンピオンの話を聞いていると、昔は好きなボクサーに憧れて、その選手のまねばかり。練習は毎日地味なことの繰り返し。毎日基礎ばかりやっているので、同じジャブでも人とは違うパンチが打てるようになったと。
学者でも、毎日膨大なる文献と訳の分からない資料を照らし合わせ、学びながらコツコツと地道に紐解く作業をしてく。すると点と点が繋がり、ついにはだれも気付かなかった大発見をするという。
私も修行道場の頃は、ひたすら上の者の言うことを聞き、直接教えてはくれないのでひたすらまねをして生活していました。すると2年目3年目と年を重ねるごとにできないことがスムーズにできるようになる。そしてこのお寺に帰ってきても、お経や掃除、仏教の勉強など、今の生活ができるのは、すべて修行で培われた応用であると断言できます。
「真似ぶ」ということは基礎の繰り返し。これができないと応用なんてできるわけがない。世の中の成功者はすべてこの「真似ることの基礎」を普段から当たり前のように続けているのです。

一寸坐れば一寸の仏
「一寸坐れば一寸の仏」という禅語があります。
一寸は約3cm。
坐禅では線香を焚きます。たった3cmが燃える短い時間を坐れば、その間は仏であると。
一分坐れば一分の仏
一時間坐れば一時間の仏
一年坐れば一年の仏
ということになります。しかしこの言葉、決してウルトラマンのような変身時間に限りがあるというのではなく、坐る時間だけが仏になるということを意味しているのではありません。
「坐る」という動作こそ、先人が行ってきた仏に近づくための基礎。つまり、1分でも1秒でも「坐禅」をして心を安寧に保つことを繰り返し続けるならば、その分仏に近づくことができるのである、という「続けることの大切さ」を説いている教えなのです。
「あの人はまねばかりして自分というものがないのか?」
「また同じことばかりさせて、めんどくさいし嫌になってきたからもう辞めた。」
と感じることはそれこそ自分のことしか考えていない人。成長はできません。
まずは心を整えることを常に身に付けること。そして素直に真似て習う姿勢。決して恥ずかしいことではありません。繰り返せばいつか必ず自分のオリジナルとなるのです。
