こんにちは。和尚です。
みなさんはいろんなお付き合いの中で、嫌な思いをしたり、腹立たしいことをされて相手を恨んでしまうことはありませんか?
私も過去に理不尽なことやひどいことをされて、どうしても許せない人がいました。
お坊さんであるのにそんな気持ちになってはならないと思うのですが、されたことを思い出すたびにドス黒い感情が頭の中をグルグルと回ってしまいます。
しかしそんなときはあるお釈迦さまのことばを思い出します。そしてそのような恨みの心に集中するのではなく、違った物事や活動に集中するのです。
今日は人間には必ず経験する「恨み」についてのお話です。

救われた日本
時は1951年。
第二次世界大戦が終わり日本は負け、サンフランシスコ講和会議という戦争終結の平和会議が行われました。
平和会議といっても負けた日本に対する賠償請求と不利な条約を結ぶための会議。
参加する各国のほとんどは、容赦なく日本に様々な要求をしてきました。

その中である国だけは、違った対応をしたのです。
その国とはスリランカ。インドの東側にある島国。紅茶が有名で、当時はセイロンと呼ばれた国で、セイロンティーなんて聞いたことがあるのではないでしょうか。
当時の代表はジュニウス・リチャード・(後、スリランカ第2代大統領)はこの講和会議でこんなことばを言われました。
実にこの世において恨みは
恨みによって静まらない
恨みを持たないことで静まる
これは永遠の真理である
セイロン国は大変な仏教国。
以前にお話した「ダンマパダ(法句経)」というお経から引用されたのです。
ジャヤワルダナ蔵相はお釈迦さまのことばをもって日本に対する賠償責任を放棄し、さらに「恨み」という人間の根底にある悪しき心を捨て去るよう、世界に訴えたのです。
そして戦争という愚かな行為を否定しました。それを聞いていた各国からの称賛の声があったことは言うまでもありません。
日本はこのジャヤワルダナ蔵相とお釈迦さまのことばによって救われたのでした。

真理のことば
戦争は常に相手を憎しみ合う心から生まれるもの。勝利しても必ずそこに恨みが付きまといます。
お釈迦さま自身もコーサラ国という国に自分の国を滅ぼされました。まあこれはいろいろあって仕方のないことなのですが・・・。
理由はまた別の機会でお話したいと思いますが、しかしお釈迦さまほどの方がその気になれば、信者や別の国を動かして仕返しだってできたはず。
それをせず、襲撃されている時も静かに坐って世の真理を受け入れていたのです。行動すれば恨みが恨みを呼び、自分や人々が不幸にとなり、苦しみのくり返しとなる真理を知っていたから。
お釈迦さまはその後、「恨み」に対することばをたくさん残されたのでした。
一部ご紹介します。
恨みある限り恨みの連鎖は絶対に止まらない
恨みを忍んでこそ恨みの連鎖は止まるのだ
これは古からの世の常である
勝利から怨みが起こる敗れた人は苦しんで臥す
勝敗をすてて安らぎに帰した人は安らかに臥す
戦場において千の千倍の人に勝利するにしても
自分自身という一人に勝利するならば
その人は戦場において最高の勝利者である

「恨み」からは何一つ良いことなんて生まれない。
どうぞ一言一句かみしめていただき、今日もすてきな一日をお過ごしください。