こんにちは。和尚です。
今日の一日はいかがでしたか?
職場での人間関係や、お客さんとの対話、そして家族や友人とのお話など、たくさんの出会いの中でコミュニケーションしながら毎日を送られてていることと思います。
私も檀家さんやお参りの方など、様々な年齢層とのお付き合いがある職業。庭掃除のときにはお墓参りの方とお話したり、ネットでお悩み相談を聴いたりするときなど、場所も色々。
そのなかでやっぱり好感が持てる方がいらっしゃいます。そんな方の共通点はすべていっしょ。
なぜ心地よくなるのか、今日は心理学と仏教を合わせながらお話して参ります。

「聞く」と「聴く」
結論から言いますと、その共通点とは「話を聴いてくれる人」。
私が話しているときは「ウンウン」とだけうなずき、「ヘー」とか、「それで?」とか「そうだったんだ」など、適度な相槌を打ってくれるのです。
そうすると私ももっとこの人にお話をしたいという気持ちになり、どんどん楽しくなってくるのです。
これを心理学では「傾聴(けいちょう)」といいます。特にカウンセリングをするときには重要なテクニックとされています。

「聞く」と「聴く」と2つ漢字がありますね。この違いを説明すると、
・1つめの「聞く」は耳で聞こえたことをそのまま解釈すること。
例えば「先生のことばを聞く」「風の音が聞こえる」「BGMを聞く」など。「先生のことば」とは、整列の合図や号令などですね。
・2つめ「聴く」は、理解しようと耳を傾けること。
例えば「悩みを聴く」「好きなミュージシャンの曲を聴く」「講演会を聴く」など。興味あることって耳を傾けますよね。
つまり心を伴っているか、いないかの違いなのです。
・聞く・・・耳に入る情報をそのまま受ける
・聴く・・・こころを伴いながら耳を傾ける
みなさんも経験あるのではないでしょうか?カラオケで人が歌っている曲を知らないとスルーしながら自分の歌を探し、とても好きな曲になるとその時に味わった思い出と一緒に感情移入して歌ってしまったりするもの。そしてもし相手が一緒になって歌ってくれたらとても嬉しくなるはずです。
これを「共感」といいます。
仏教も心理学もこの「傾聴」と「共感」の原理がとても大切で、人が話を聞いてほしいときにこの「聴く」という耳を持って相手に接する。そこで自分なりの答えをすぐに伝えるのではなく、まずは一緒になって「共感」していくのです。
ただどうしても「共感」できない場合には大事な場面以外は反論するのではなく、「傾聴」だけにとどめて一歩下がった自分になって、俯瞰しながら聞きましょう。それだけでも相手は安心します。

聞くこと少なき人
聞くことの少ない人は 牛のように老いる
彼の肉は増えるが 彼の智慧は増えない
お釈迦さまのことば
ここでは「聞く」となっていますが、「聴く」「学ぶ」というニュアンスでとっていただければと思います。
人間年を取っていけば、年齢や立場が自分より下の人に対してあれこれと話をしたがるもの。
そんな自分勝手さは、相手の気持ちや、今の時代の大切なことなどを読み取ろうともしない。結果本人は現状よりも成長しないということ。
お釈迦さまはこの状態を「ぶくぶく太るだけの智慧のない牡牛」と手厳しく例えています。
耳の痛いことや諫められるような場合でも、まずは聞く(聴く)こと。そして謙虚に学ぶことが、本当の智慧となるのです。
以上、傾聴は相手とあなたの良いコミュニケーションを生み、しっかりと耳を傾けることによって学ぶ姿勢を常に持つ。
これがあなたの人生を豊かにする一つのテクニックです。