こんにちは。和尚です。
私も現在44歳となりました。この年になってくると、様々な公の組織からお役をいただくことが多くなって参ります。
外の世界をあまり知らない私にとってはとても勉強になり、いろんな考えがあるのだとつくづく経験させていただいています。そんな意見をまとめる役員方々、やはり人生経験豊富で尊敬いたします。
さて、そんな素晴らしい人選はどのようにしているのか。
今日は人材登用にあたって「推薦」と「立候補」について、今回も「貞観政要」からのお話させていただきます。

「薦制」と「立候補」
唐の太宗が側近に語った。
「今は平和の時代である。このような平和の時代に天下の政治を安定させるためには、すべからく素晴らしい人材登用を図らなければならない。
ところがいっこうにそういったものを推薦してこない。これではいつまで経ってもそのような人材を手に入れることができない。
そこで登用に当たっては自己推薦制を採用しようと思うがどうだろうか。」
魏徴(ぎちょう)が答えた。
「人を知る者はせいぜい智者の水準であるが、自分を知る者は真に明智の人であると古人も語っております。
人を知ることを自体、容易なことではありません。まして、自分を知るということは至難の業であります。
世間の暗愚な者たちは、とにかく自分の能力を鼻にかけ、過大な自己評価に陥っているものです。売り込みき競争だけが活発になりましょう。
自己推薦制はおやめになったほうが賢明かと心得ます。」
このお話では国や組織を治めるにあたって、トップの側近を選ぶにはどうしたらいいかを語っているお話。
「貞観政要」についてはこちらをどーぞ。
率直なイメージでいうと、推薦はいろんな人から「この人だ!」と認められたこと。だからみんなのお墨付きってことかな。
立候補は自分から手を挙げるってことだから、そうとう自信があるって感じかな。
それでこのお話では皇帝太宗がなかなか人材が集まらないから、自己推薦、つまり立候補者を募ろうとしたところ、魏徴から静止された。
立候補する人は、誰もやらない大変な役を、国や組織のために自らを投げうって引き受ける心の持ち主であれば問題ない。
けれど富や名誉のためにする人もいるということ。
そんな人が側近になったらもう大変。
魏徴は「自分を知る者は真に明智の人である」と言い、自分を知らない愚かな人が集まってしまうことを懸念したんだ。
なるほど真意をついたお話でした。立候補する人は一番人間性を見られていることをお忘れなく。
