日常

禅て何だろう~涙のラーメン屋 慟哭の雲水~

こんにちは。和尚です。

今回は修行時代の思い出、「涙のラーメン屋」をご紹介します。

スイハンジャー雲水はこちら↓

禅て何だろう~厳しい禅の修行で起きた奇跡のコラボレーション 雲水と炊飯ジャー~ こんにちは。和尚です。 今日は私の修行時代に起こった奇跡の体験についてお話していきます! 初めての方は、まず...

修行生活

修行した天龍寺僧堂の門。静謐ではあるが、只ならぬ雰囲気が漂う。

僧堂というと、中ではどんな厳しい修行をしているんだと思われがち。門の外から中を覗いても謎のベールに包まれていて、いまいち実態がわからない・・・

そう、かなり厳しい修行をしております。

よく言われることですが、滝には打たれません。それは違う宗派です。代わりに警策に打たれます。バシッ!バシッ!

前にもお話したとおり、坐禅を中心に托鉢や禅問答、作務(掃除全般)が主な生活です。たまに外へお参りにも行きますが、ほとんどがこのサイクル。

そして1ヵ月に1回、約1週間、「接心(せっしん)」という大変厳しい行事を行います。この接心は、早朝から坐禅に始まり、食事とおトイレ以外はほぼ夜中まで坐り続けます。

その間に老師と禅問答をし、「まだまだー!」と追い返されてまた坐りながら公案をひねり出すという繰り返し。

雲水は全員この接心に怯え、始まる数日前から胃がキリキリ、顔が真っ青となっていき、当日は「なんらかのアクシデントでやめにならないかなあ・・・」なんて祈り始めます。

始まったらもう大変。古参(長くいる大先輩雲水)が鬼の形相で禅堂を監督。このピリピリ感は半端ありません。

寸分のくるいもなく並べられたゲタ。

修行中の食事

僧堂では朝は「粥座(しゅくざ)」といい、朝のお勤めが終わった流れでお粥をいただきます。お昼は「斎座(さいざ)」といい10時半頃、夜は「薬石(やくせき)」といい、夕方4時半頃に食べます。※季節やその日の日程によって時間変更あり

僧堂には規則があり、雲水たちはそれに則って食事はもちろん、いろんな作法や生活をしているのですが、やはりここにも古代仏教僧団の「律」の名残があります。

お坊さんは托鉢をしますが、必ず午前中まで。そしてご飯はお昼12時までと決まっています。斎座の斎は、施しを受けた食事のこと。これはタイに行ったときに現地のお坊さんたちはちゃんと守っていました。※タイのお話はこちら

タイのお坊さんの食事風景。午前中のみ食べる。

 

しかしこの「律」によると、お昼以降でも口にできるものが書かれています。それは薬。当時も人から施されて命をつないでいる生活でした。しかし午前中だけ、しかも少ない食べ物だけでは栄養が足りない。これは修行どころではなくなるので、滋養強壮になる薬であれば午後でも口にしてよいとされました。まあこの薬にあたる食べ物が律には細かく規定されているのですが、その薬という意味をもって、禅僧堂では夕ご飯を「薬石」と呼ぶのです。

 

そんなわけで、唯一楽しみなのがメシの時間。

 

汗水たらして走り回るような生活で、しかもみんな年は若い!とんでもない量のご飯を食べます。例えていうなら日本昔話のラグビーボール飯。それを2杯。

私はそんなには食べれなかったのですが、残すことも許されないのでみんなあっという間に平らげていました。

さてこの台所を預かっている雲水がいて、「典座(てんぞ)」といいます。雲水たちの命を預かる大切なお仕事なので、毎日必死に献立(肉、魚を使わない精進料理)を考えます。しかもさきほど言った通り、食べ盛り野郎ばかりだから作る量が半端ない!

私も1年間この典座を任され鍛え上げられました。いまの料理好きも、典座を経験したおかげです。まあ当時は野郎どもにエサをやる気持ちで作っていましたが・・・、ちゃんとはありましたよ。

しかしこの典座役、美味しい人であれば良いのですが、やはり人生はそんなうまくもいかないもんです。

薪でご飯を炊く。こちらは正月のおもちの用意をしている最中。

涙のラーメン屋

ある期間、とんでもなくメシを不味くつくる人が典座役になりました・・・

さすがに私もほかの者も、休みの日に食料を買い込んで、申し訳ないですがなんとかそれを腹の足しにして凌いでいました。

かわいそうなのは一番下っ端の1年生。

彼らは休みといえども仕事が残っており、ほとんど外には出れません。

日に日に精神的に衰弱していくのがわかったので、本当は下っ端とはツルむことは良くないのですが、見兼ねて休みの日にラーメン屋に連れていきました。

好きなだけ食え‼️

そう言うと、ラーメン特大、唐揚げとギョーザ10人前をたった2人であっという間にたいらげました。

食事中彼らの顔を覗くと、涙を流して食べているではありませんか‼️

それから後、後輩と会うときには毎回、今でもあの味は忘れないと言ってきます。

彼らにしてみれば、あのときのラーメンはお釈迦さんがスジャータからもらった乳粥に匹敵するものであったかもしれません。

ちなみに典座の人、どのくらいメシがまずいかというと、

「おまえのメシは飢えた馬でもまたぐぞ・・・」

と上の者に言われたそう。

そこで彼は、

「この人、上手いこというな・・・」

と思い、関心だけしたそうです・・・。