こんにちは。和尚です。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
奢れる人も久からず ただ春の夜の夢のごとし
猛き者も遂にはほろびぬ ひとへに風の前の塵におなじ
一度はみなさんのお耳に触れたことのある文であると思います。
そう、こちらは『平家物語』第一巻「祇園精舎」の一節。国語の教科書にも必ずと言っていいほど載っている一節。
ここに出てくる仏教用語である「諸行無常」という言葉。
「もろもろの事象は絶えず変化していく」という、仏教の理念です。
今日はこの「無常」という意味を、ある映画のワンシーンを紹介しながらお話いたします。

smoke
毎日同じ場所で同じ時間に写真を撮る男がいた。
その写真の記録を友達に見せると、適当にアルバムをめくって流している。
男「そんなに適当に見ちゃダメだ。」
友「同じ場所だろ?」
男「いや、一枚一枚すべてがちがうんだ。半袖の人、長袖の人、笑っている人、泣いている人…、その瞬間すべてがちがう。」
聞き流しながらずっとめくっていると、ある一枚に目が止まる…
そこには事故で亡くなった愛する妻が写っていた…
日付けは事故の日の数時間前。
男は泣き崩れる友達をそっと抱き寄せた。
映画「smoke」は1995年のアメリカ映画。
舞台はブルックリン街角のたばこ屋。たばこ屋というのはいろんな人種や人間がいっぷくふかしにやってくる、世間話と情報が交錯する大人の社交場。
であると同時に一癖も二癖もある奴らが集まるヤバイ場所でもある。
そんな店を仕切るのは、ベトナム戦争帰りの精神的にも肉体的にも屈強な男、オーギー。彼の存在がこのたばこ屋の秩序を保っているのである。
そう、彼こそが店の前で毎日同じ場所で同じ時間、写真を写す男なのである。
そんな彼のたばこ屋に、ある日一人の男がたばこを買いに来る。客たちの中で、「たばこの煙の重さ」について話題となっていたところ、その男が見事、エリザベス女王の話を引用してお客たちをうならせる。
それがオーギーの友人である小説家のポール。数年前に最愛の妻を交通事故で亡くした男であった・・・。
と、あらすじはこんなものであります。いろんな人間模様とつながり、そして男同士の掛け合いや仲直りなど、とてもシンプルでかっこいいストーリー。
なぜオーギーがカメラを撮るようになったのかは映画の最後で明かされます。

いつも当たり前の光景と思っていても、すべては流れ去る・・・
人の思いも、自然もすべてはたばこの煙のように生まれては消えてゆく・・・
まさに「無常観」。オススメ映画です。