こんにちは。和尚です。
前回は先生との出会い。
今回は再開。

失意
先生には学生時代に影も形も覚えられてもらえなかった私。
大学を卒業してから、おもちゃのバン〇イに就職を考えて事は進んでいたのですが、我が家はお寺。
やはり今まで仏飯を食べさせていただいていた檀家さんと、潮音院の法脈を裏切ることはできないと思い、京都嵐山「天龍寺」への修行を決心し、僧侶の道を選んだのでした。
なんとか4年間、専門道場でお世話になりました。その後30歳で住職を拝名したのですが、人生の転機はこの時期。調べていくといろいろと会計上の問題が出てきたのです。ずさんなことで、檀家さんに大変なご迷惑をおかけしてしまいました。
私はそのまま住職を続けさせていただくことになったのですが、やはり風当たりは強くなる一方。
もうこのまま逃げてしまいたい!という失意のどん底でした。
そんな状態でもう何もかも嫌になり、ある日京都の町をあてもなくさまよい続け、このままお寺から逃げてしまおうかと考えながら、ひっそりとわびしい道を一人歩いていました。
ふと寒空を見上げると、頭上には一軒のバーの明りが灯っているのでした・・・

スローボート
今晩はここで沈没してやろうと座ったカウンターに目をやると、そこには一冊の本が。手に取ってみると、題名は「犀の角たち」。著者はなんとあの懐かしいお名前。
マスターになぜこの本があるのかと聞いてみると、たまにここへ来られると。
バーの名前は「スローボート」。
先生のエッセイ「日々是修行」にも出できます。
なんとかご本人に会いたい一心でマスターに頼み込み、ようやく再開を果たすわけですが、そこで私を思い出していただくために、開口一番、「ゼミで首根っこをつかまれて放り出された鈴木です!」とお伝えしたところ、先生は「君もつかんだ生徒だったかね?」と、うろ覚えのご様子でした。
この時、いったいこの人は今までに何人の首根っこをつかんできたのだろうかと想像して、正直ゾッとしたのを今でも覚えています。
アル中で最後、廃人になって亡くなってしまった私の大好きな「中島らも」さんのエッセイにこう書いております。
一人の人間の一日には
必ず一人「その日の天使」がついている
憂鬱を笑い飛ばし
絶望の淵で微笑む
そう、学生時代に悪魔のような恐ろしかった先生は、実は私にとって天使だったのです。ご縁というものは特別なときに繋がるもので、まさにその瞬間でした。
現在ではそのバーはもうありませんが、ここが私の新しい出発の場所となったのは間違いありません。
この再会から先生の本を拝読し、今までほとんど見もしなかった仏教書を読んでいくにつれて、私は悲しみと苦しみのどん底から生きる希望を掴むようになっていったのです。
つまり私自身、たくさんの苦しい経験を経る中で、仏教によって救われたという事実があるからこそ、死ぬまで仏教を信じてお寺を続けていこうと決心したのであります。
先生と再会できたのも、仏縁によるものだと思っております。ちなみに私のお寺のその後といいますと現在は檀家さんとも円満に法務をおこなえております。
以上、ほとんど私中心のお話ばかりで恐縮でしたが、本当に先生は私にとって命の恩人であります。
現在はYouTubeでの御講義、サムネイル(表紙)の絵は、私の家内がデザインさせていただいております。題字は画家で詩人「服部潤」さんの素晴らしいご染筆。少しでも先生のお仕事に貢献させていただけたことに感謝です。

どうぞこの動画でみなさんも素晴らしい仏教の流れを勉強していただけたらと思います。
そんな恩師との出会いのお話。
長々と失礼いたしました。
潮音院
鈴木元浩 拝
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