こんにちは。和尚です。
みなさんには「親友」とよばれる人がいらっしゃるかと思います。
遠くに離れていても、しばらく音信がなくとも、久々に再会すればいつものように心を許し合って話せる存在。私たちにとって非常に心の安らぎにもなります。
しかしこの親友と思われている人の中には、付き合ってはならない人がいます。
今日は本当の親友についてお話いたします。

苦しい時にそばにいてくれる人?
親友てどんな存在?
と尋ねてみると、たいていの方は「いっしょに楽しくお話や遊べる」「苦しい時にそばにいてくれる」といった返答がかえってきます。
旅行にいったり、お食事したり、そのなかで趣味や近況の話、また今悩んでいることや相談などお互いを想い合って、気を遣わずお話できる存在が親友といえる定義でしょう。
しかしここで注意すべき人を見極める必要があります。
それは「苦しい時にそばにいてくれる人」
え?なんで?と思われるでしょう・・・
普通は苦しい時に助けてもらい、そのおかげでいまの自分があると恩義を感じるべきところです。
しかし中には違う感情を持って、あなたのそばにいる場合があるのです。

他人の不幸は蜜の味
例えば恋愛の悩み相談をしたとき。
とても親身になってアドバイスをしてもらったりと、自分のことを想ってくれながら話をきいてくれる。
そのアドバイスのおかげで、恋人とうまくいき、相談に乗ってくれた人に報告すると、急によそよそしくなったりする。今まで悩みを打ち明けながら共感し合い楽しくお話していたのに、なぜか相手は面白くなさそう。
恋愛相談を出しましたが、それがビジネスや人間関係、さらに病気で苦しんでいるような、人生で一番最悪なときに、そんな人に話を聞いてもらう。それが成功や回復したときに、急にそっぽを向くようになる・・・。どうでしょうか?経験はありませんか?
これこそが注意すべき人間です。
つまり、相手の幸せを願っているのではなく、「他人の不幸は蜜の味」ということわざがあるように、相手が苦しんでいる姿をみて「自分よりもこの人は不幸せだ!」と比較することによって相手を下に見ていることなのです。
こういう人は自分よりも幸せになっている人が許せないのです。
科学的にも立証されていることで、経済学者エルゾ・ラットマー教授もこう述べています。
「隣人達の収入が上がることは、自分の収入が減ることと同じ程度の不幸をもたらす」
相手の収入や生活度合いが自分よりも上と感じたなら、そこに不幸感情が生まれる。実にわかりやすいですね。
ここでいう不幸感情の原因は、仏教でいう「三毒」
貪・瞋・痴(とん・じん・ち)
訳すると、貪り、怒り、愚痴に当たるところ。
応援していた人が成功したならば、自分よりも上になってしまう。そこに生まれる感情は嫉妬。相手が羨ましくなり、怒りを覚え、何とか相手を悪くしようと違う人間にその人の悪いことを言う。
仏教では一番の煩悩といわれています。
気をつけてください。もし親友と呼ぶ人が、不幸な人を面白おかしく話したり、また成功している人を陥れるような発言や悪口を話題にしていたならば。
それはもし自分がその立場になってしまったときには、必ず他の人と自分のことを話題にしているはずですから。

本当の親友
では本当の親友とは?
それは自分が夢を達成したり、なにか物事が成就したときにいっしょに喜び、引き続き応援し続けてくれる人。
相手の幸せが自分の幸せと同じであると心から願う人。
これこそが本当の親友なのです。
そして一番大事なのは、自分がこのような人間になるということなのです。
