公案

坐禅とともに~寒泉に浮かび上がる美しき孤月~

こんにちは。和尚です。

我々禅宗は何といっても坐禅。

・曹洞宗は黙照禅(もくしょうぜん)

ただひたすら坐ること、その姿こそが仏そのものであるという禅。

・臨済宗は看話禅(かんなぜん

禅問答であらゆる色眼鏡のトラップを外していき、内と外の世界を一つにする。その公案を坐禅中に練り上げるという禅。

「不立文字」

文字を立てずという禅の教えの中で、問答ということばを使って真理を突き詰めるという、一見矛盾したようなことですが、じつは言語や言葉、詩一つに隠れた真理を見つけていくことが大切であります。

なぜなら我々は言語というツールで今のところ世界を表しているから。

圧倒的な情報不足であることばのなかにある、一筋の光るもの・・・。

さあ、禅語に隠された境涯をみつけていきましょう。

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独坐人不知 孤月照寒泉

独坐人不知 孤月照寒泉

’’独坐人知らず 孤月は寒泉を照らす’’

中国唐代の風狂僧「寒山」の詩一節

 

この詩は傷ついたとき、そして自分の存在を見つめなおすときにこそ美しく心に響き、そして勇気を与えてくれます。

人知れず坐る姿には、あれやこれやと何のわだかまりもない。

ただ寒く泉に浮かび上がる月のごとく、ひっそりと光り輝いている。

誰でもみんな自分の人生を持っています。他人になることなんてできません。その人にはその人の喜びや苦しみがある。

あなたならこの月のように、どう輝きますか?

どう月と自分を一つにできますか?

たまには独りでこんな詩と共に坐ってみる。意外と近くに答えがあるものです。