こんにちは。和尚です。
我々禅宗は何といっても坐禅。
・曹洞宗は黙照禅(もくしょうぜん)
ただひたすら坐ること、その姿こそが仏そのものであるという禅。
・臨済宗は看話禅(かんなぜん)
禅問答であらゆる色眼鏡のトラップを外していき、内と外の世界を一つにする。その公案を坐禅中に練り上げるという禅。
「不立文字」
文字を立てずという禅の教えの中で、問答ということばを使って真理を突き詰めるという、一見矛盾したようなことですが、じつは言語や言葉、詩一つに隠れた真理を見つけていくことが大切であります。
なぜなら我々は言語というツールで今のところ世界を表しているから。
圧倒的な情報不足であることばのなかにある、一筋の光るもの・・・。
さあ、禅語に隠された境涯をみつけていきましょう。

遺言~いい加減だけど憎めないヤツ~こんにちは。和尚です。
「こうしなければならない」「ああしなければならない」「人間道徳的にきっちりと生きなければならない」
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テーラワーダの風③~タイのお寺で願いが叶う/あなたにもできるやさしい瞑想のやり方~
こんにちは。禅宗のお寺、潮音院和尚です。
テーラワーダの風3。お寺の生活と旅の最後。
テーラワーダの風2はこちら
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独坐人不知 孤月照寒泉
独坐人不知 孤月照寒泉
’’独坐人知らず 孤月は寒泉を照らす’’
中国唐代の風狂僧「寒山」の詩一節
この詩は傷ついたとき、そして自分の存在を見つめなおすときにこそ美しく心に響き、そして勇気を与えてくれます。
人知れず坐る姿には、あれやこれやと何のわだかまりもない。
ただ寒く泉に浮かび上がる月のごとく、ひっそりと光り輝いている。

誰でもみんな自分の人生を持っています。他人になることなんてできません。その人にはその人の喜びや苦しみがある。
あなたならこの月のように、どう輝きますか?
どう月と自分を一つにできますか?
たまには独りでこんな詩と共に坐ってみる。意外と近くに答えがあるものです。

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