仏事

三月越し(みつきごし)の四十九日はなぜ嫌がられるのか

こんにちは。和尚です。

日本の仏教では、お家でご不幸があるとお葬式、そして仕上げとして四十九日目で満中陰をします。

今回は以前からよく疑問に思われていた「三月越し」についてお話いたします。

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三月越しはどこからでてきたか

 

私の地方では四十九日に営む満中陰が三ヶ月目になるような場合には、三月越し(みつきごし 三ヶ月をまたぐこと)の四十九日はしてはいけないと言って、これを五七日(七日ごとの五回目)に当たる三十五日目に繰り上げる場合があります。

お寺さんにきいても詳しい説明はしてくれません。

なぜ三月をまたぐ四十九日は嫌われるんでしょうか? 

 

なるほど。私の地域でも三ヶ月越しの四十九日ってやってもいいの?とたまに言われます。それについて近くのお坊さんたちに聞いても、

「三月越し(みつきごし)だから身(み)につく、身(み)について離れない。という語呂が合わさり、世間で生まれた俗説ではないか」

というぐらいの答えしか返ってきません。しかし、仏教的にはやはり四十九日に満中陰を迎えるということには間違いありません。

そこで私なりに色々と本を読んだりして調べたところ、ある面白いことがわかりました。こんな言い草がいつ頃どこから言い出されたのか探っていきますとだいたい大正期に阪神地方からということだそうです。

それはあっという間に周辺の近畿一帯、さらに四国、中国九州までも広がっていったそうです。関東のほうではなぜか広がらなかったそうです。

それではなぜ阪神地方の人たちが三月越しの四十九日を嫌ったか。

答えは簡単。当時の関西地方の社会経済の仕組みがそうさせたと言えます。

理由

そのころ田舎ではお米やお酒、それに味噌、醤油に始まり、その他大抵のものはお店から渡されている「通い帳(かよいちょう)」によって経済が回っていました。

そして支払いは長期の場合は盆と暮れの年二回、短期の場合は翌月末と、ツケのようなシステム。そしてお店だけではなく、例えばお医者さんの支払いにおいても同様であったようです。

ところが一方お金の動きの激しい街である阪神地方にとっては月年に一度の支払いとなると運転資金に困るわけです。しかも相手のお客さんの中にはいつどこから来たのか、どこに親戚がいるのかみんなはわからない人たちもいるので、そんな人がどっさりと支払いを溜めたところで夜逃げされる場合なんかもあるわけです。

当時の庶民はものをそんなに持たない質素な生活。大八車一つで簡単に逃げられることだってあったことでしょう。 

そういった不安もあるなかでも通い帳での取引は変わりはありません。その支払いの月末になると店の人が集金に来るか、客自ら支払いに出向いたといわれています。そしてこのことを「お勘定」といっていました。

このような生活の中で、例えば誰かがなくなるとなると、それを知ったお店では四十九日が終る月末までは一切集金に行くことはできません。そうなってくると三月越しの四十九日をすると、支払の日にもらえるものがヘタすると三ヶ月も待たなければならない。

さらにその時代は社会福祉や保険などの制度もなかったので、すべて葬儀などが終わってから、葬儀代やお医者さんにかかった支払いを見ると莫大な金額になっており、支払いできないという事態が出てくるのであります。

また別の方面から見ても、例えばそのおうちがお菓子屋さんだとすれば、どんなに親しいお得意さんでも祝いごとに使うお菓子やお餅、お赤飯などのようなものは縁起が悪いということで、必ずと言っていいほど他所のお店に注文されてしまうということになってしまいます。

他の職業でも四十九日が済むまで「火が混ざる」と言われ、場合によっては敬遠されて仕事もまったくなくなります。

こういった事例が商業都市である関西地方の重荷となったため、三月越しの四十九日をするのは問題ばかり、つまりしない方が良いとなって、さらにしないものと変わってきたようです。

現代の四十九日

こういった事情を考えると、なるほど筋が通るなと納得します。

現在ではそういったアナログ的なツケの通い帳なるものはほとんどなく、 電子的ツケであるクレジットカードの流通、さらに人々を判別するIDや個人情報が管理される技術が発達している社会なので、身元がわからないということはめったにありません。

私のお寺では諸々の事情がある時には当家の方と相談して決めます。

例えばお正月やお盆の最中と重なってしまう場合などは、この三十五日を納骨とさせてもらう場合があります。その場合は残りの六七日(むなのか)と四十九日の二日は各お家で拝んでいただき、お寺ではその二日に当たる日に、朝のお勤めで当家の満中陰のお経を読んでおります。

世の中もだんだんと変化し、それぞれケースバイケースでお葬式や納骨などをしておりますが、どうしても事情がある場合はこのようにするしかありません。

しかし本来仏教的には四十九日が満中陰忌にあたる日ということなので、そこはお忘れなく覚えておいていただければと思います。