日常

おやつタイム~みんな混ざってみんな〇〇~

こんにちは。和尚です。

皆さんはおそらく日常では常識的なこと守り、生活されていると思います。

そこにはきっと慈悲があり、優しさがありと道徳的なことを大切にされていることでしょう。

しかしそれが通用しない「パラレルワールド」(注:仏のパラレルワールドではない)がこの世では今もなお存在しているのです。

今回はそのパラレルワールド、僧堂で起きた戦争についてお話いたします。

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寛平ちゃんの講演会

間寛平さんがとある学校で講演会をされたとき、吉本の会社のことをお話されました。

吉本というところはご存じのとおり、芸人さんが活躍される会社。

寛平さんが学生さんにこう質問されました。

「芸人はみんなアホなやつばかり。でも社員さんは違う。一流大学出の人や、常識のある人が新卒で入ってくる。

それでアホな芸人と一緒に仕事するやろ?そうするとどうなると思う?」

みんなわからない・・・

普通はそんな違う者同士、お互い住み分けて一緒に協力し合い、それぞれの適材適所で仕事して面白いものを創っているんだというような美談になるのかと思いきや・・・

「あんな、これ不思議なことに全員アホになるんやで。かしこかったやつもみんなアホになんねん。アホの方が強いんやな。」

と、アホの感染力を学生に説いていたそうです。

これを聞いてなんとなくわかる気がしました。

パン茶礼

昔、僧堂に入る前にうちの老僧(おじいちゃん)に報告したときに、こんなことを言われました。

「アホになれよ」と。

入ってからは規則に従って日々を過ごします。雲水は主に「作務(さむ)」と言われる掃除や薪割りなどの仕事を毎日欠かさず行います。

そして午前午後と2回、「茶礼(されい)」という休憩時間があり、みんな集まってコーヒーやおやつをいただきます。

「新塔(しんとう)」と言われる一年生が用意をし、お菓子や飲み物を目上の人たちにお出しする決まりがあります。

ゴミが出た瞬間に「失礼いたします!ゴミをお取りいたします!」とか、カップの飲み物が無くなれば数人が大声で「失礼いたします!お飲み物のおかわりはいかがでございましょうか!」と、まるでホストクラブのようなVIP待遇。

しかも所作にも気を付けなければならなく、シャキッと動かなければいけません。

あるときなどは、数人がおかわりを聞くためにカップに飛びつき、勢い余ってまだ入っていたコーヒーをこぼしたこともありました。まあそれほどおやつの時間でも気が抜けないほどの生活だったのですが・・・。

そんな茶礼には月2度ほど、とんでもないBIGイベントがあります。

その名も「パン茶礼」

読んで字のごとくパンが出ます。雲水たちは過酷な作務をしているのですぐに腹が減る。パンの種類はコロッケパンやクリームパンなど、普段食べられないようなものがたくさん。

こうしたボリュームあるパンがおやつにいただけるのは、特に新塔にとっては超BIGイベント!

午前中に出る場合には更にありがたい。なぜなら雲水の朝ご飯はお粥のみ。新塔たちはこのパン茶礼になるとみんな獣のように狂喜乱舞し、心の中ではで盆踊りを踊っているのです。

しかしこのパン茶礼には新塔の人間関係を破綻させるような、もろ刃の剣のような効果があるのです。

単の秩序

僧堂では「単の秩序」というものがあり、どんなに年を取っていても1秒でも早く入門したら先輩になるという決まりがあります。もちろんその年で入ったものは全員一年生ですが、その中でもこの単の秩序が適応されます。

純粋に修行する場合にはこの秩序は非常に合理的。托鉢するときも食事をするときもすべて順番が決まっているので、あれこれと迷わなくてよい。

しかし時にこの秩序こそが今回のパン茶礼に甚大な影響をもたらすのです。

ご説明しますと、このパンを買ってくる人、これがまたイヤラシイ人がいます。

もちろん目上の方なのですが、コロッケやカツ、チョコレートやクリームなどの高級お総菜パンばかり選んでもらったらいいのに、わざわざ「マメパン」とか「ウグイスパン」とか、ひどいときには何も入っていない「コッペパン」を買ってくるのです。(お好きな方ゴメンなさい^^;)

コッペパンなんて例えていうなら出汁も入れないガチの素うどんみたいなもんですよ。

これが戦争勃発の引き金になる原因。

我々の同期は7人でけっこう多いほうでして、そのうち私は4番目。

茶礼が始まると、先ほどの単の秩序でパンを選ぶのは目上の人たちから。

「ああ、うまそうなパンがだんだんとなくなっていく・・・」と恐怖と焦燥にかられながら固唾を飲み込み、自分の番までひたすら待つ。まさに犬の「おあずけ状態」です。

残るは7人分のパン。残りは古き良き時代のオールディーズパンとあと数個のハイカラお総菜パン。

「たのむ!オレにあのコロッケパンを・・・」と祈る間もなく、上の同期たちは次々と美味いパンを取っていく。自分の番になったころにはマメパン、ウグイスパン、コッペパン。

もう白目です。

 

「単の秩序のバカヤロー!」

と心の中で叫ぶのですが、数百年遵守されてきた伝統は、こんなパン茶礼ごときで覆るわけはありません。

ここで怒りの矛先はお総菜パンをとった上の同期。

「おまえら同期なんだからもっと気を利かせて、たまにはコッペパン取れや!」と本気で怒るわけです。

「知るか!」と返され、あとで揉み合いになっているみっともない姿を、買ってきた人がニヤニヤしながら遠くで見て楽しんでいるという、なんとも不条理でアホな世界。おそらく買ってきた人も同じ道を通て来たのでしょう。

僧堂では一流大学を出た者や、元教師、はたまた元公務員だった人もいました。それがたったひとつのパンでここまで乱れ、みんな混ざってアホになるのです。

金子みすゞの詩

「みんなちがってみんないい」ではなく、

「みんな混ざってみんなアホ」です。

寛平さんのおっしゃるとおりアホの感染力は強い!

こうしてお話できるのも、うちの爺さんの言葉を思い出しながら、僧堂ではアホになれたおかげだと感じる今日この頃です。