こんにちは。禅宗のお寺、潮音院和尚です。
禅問答の公案について、第3回のお話です。

無門関

1700則もある中でそれぞれの公案集に編纂されていったみたいだけど、どれが一番初心者には入りやすいのかな。
どれも素晴らしいんだけど、やはり入門にはもってこいの公案集
「無門関」
を開くことにしましょう。
読み方は「むもんかん」。
まずは序をみてみよう。
序文 偈
大道無門 千差有路
透得此関 乾坤独歩
大道無門(だいどうむもん)
これから通る道は大きく広いけれど、門は無い
千差有路(せんさのみちあり)
その道へはたくさんの道に繋がっており、どこからはいってもよい
透得此関(このかんをとうとくせば)
そして門無き関所を通ることができたならば
乾坤独歩(けんこんどっぽせん)
天地自由に大手を振って歩くことができるのだ
門無き関所って言い回しがいかにも禅らしい感じでステキだね!
門がない関を通ることによって、自由な働きができるといきなり書いてあるんだから、もう序文だけで満足だよね(泣)
公案解読

まずは上の図を見てください。
公案には3つのポイントを探すことが大事なのです。
- トラップ
- 相対
- 不答和
公案に登場するのはすごいお坊さんから町民やおばあさん、そしてイヌやネコまでと幅広く、まさに「群像劇」。
これだけの登場人物がいると、発言内容や行動についてどれが上か下か優劣をつけながら読んでしまうんだよ。
公案は読んだ人を見た目で判断させ、誘導するようにあらゆるトラップがはりめぐらされている。
この比べられる対象が2番目の「相対」。
この図で見てみると、「女の子」と「ネコ」、「男の子」と「スーパーヒーロー」。
どれも普通に見たら比べてしまうよね。
誰かが誰かに質問や行動を投げかけて、相手がそれに答える。いわゆる「問答」だね。
ここでも「相対」「トラップ」となっていて、質問の人間が「下」、答える方が「上」のような見方になっている。
しかし公案を解いていくと優劣はなくなり、最後はこの問答している双方の優劣も最初からない、ということになる。
これが「不答話」なんだ。
「A」も「B」も見た目だと「A」が「B」よりも短いように見える。でもじつは全く同じ長さだね。つまり最初から同じってことは、物の味方によっては違うだけだということなんだよ。
同じ方向から見て判断するのではなく、あらゆる角度から見ていこう!ってことなんだ。
トラップ・・・見た目で判断するようにつくられている
相対・・・・・対象(人間と動物、偉い人と一般人など)
不答和・・・・どちらも同じレベルで、ただ見方が違うだけ
目的

ここも図のとおり、3つのポイントでお話します。
まずは「二見(にけん)からの脱却」
これは先にお話したように、人間は生きているうえで無意識に上下優劣をつけて生活している。例えば隣は金持ちでうちは貧乏、ボクは不細工だけど、あいつは男前など。
つまりその比べる心によって、間違った方向へ誘導され、こそに苦しみが生まれるんだ。そういったものの見方から脱却するということ。
「ん?ちょっとまてよ・・・」と冷静に判断できる心が身に付くってことだね。
そうすると「絶対的価値への到達」
惑わされない心となり、絶対的価値に到達する。
絶対的価値というのは普遍的な真理。
そして「本来の自己」に気づくこととなる。
世の中の真理に触れ、自分と外の境界がなくなり「一体」となっているってことなんだよ。
最後に「臨済録」の言葉で今日のお話は終わり。
門より入るものは家珍にあらず
門から入ったものは宝物ではない
自己の胸襟より流出し持ち来たれ
(本来の)自己から湧き出たものを持ってこい
人の言葉や教科書だけでは本物ではない。それはただの借り物の言葉。
自分の体験と合わさってはじめて生きた言葉となるのである。