こんにちは。禅宗のお寺、潮音院和尚です。
いよいよ公案に入っていきます。
みんな「無」なることが悟りだと思っていますが、この公案の「無」は何を指しているのか?
では解説していきます。

趙州無字

無門関第一則
趙州無字(じょうしゅうむじ)
趙州和尚、因みに僧問う
「狗子(くし)に還(かえ)って仏性有りや也(ま)た無しや」
州云(いわ)く「無」
こちらは編集者「無門慧開(むもんえかい」はこの公案を解くのに6年間かかったそうで特に思入れがあるから第一則にもってきたこともあるんだけれど、この公案は同時に初歩であり、最終地点となるすごい公案なんだ。
いやー、さっぱりわからなかったよ。
動物に仏さまの心?

だけどとっても奥が深くておもしろいんだよ。
登場人物はあるお坊さんと趙州和尚。
この趙州さんというのは公案の世界ではスーパースター。野球で例えると、イチロー選手みないなレジェンドってとこかな。
この内容をみてみると、あるお坊さんが趙州さんに質問しているね。
「狗子(くし)」というのは犬のことだけど、動物のことをいうよ。その動物に「仏性」が有るのか無いのか。
「仏性」というのは仏さまの心。つまり「悟りを開く能力」のこと
「涅槃経」では
一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょう しつうぶっしょう)
生きとし生けるものはすべて生まれながらにして仏となりうる素質をもつと説かれているんだよ。
趙州さんは「無」と答えただけ。
いったいこの「無」はなにを指している「無」なのか。ここがポイントになってきます。
涅槃経には生き物はすべて仏性があると書いてあるが、趙州は「無い」と答えた。この「無」について考えてみよう。
悟りとはなにか

表・・・字が書いてある=汚れている
裏・・・何も書いてない=キレイ
けれどこれ1枚は紙だから切り離すことはできないよね?
つまり「迷い」があるから「悟り」があるという構造で、切り離せないんだよ。
あるスーパー金持ちの旅行者が、田舎の漁師に会いました。
その漁師は少しの魚を取って、お昼寝したりお酒や音楽を楽しんだりしていた。
旅行者はその姿を見て、「もっと働いて金をかせいだほうがいいんじゃないの?」と言うと、逆に漁師は「お金を稼いだらどうなるの?」と質問してきた。
旅行者は「そりゃお金持ちになって、余生はちょっと働くぐらいにして、あとはお昼寝してお酒や音楽を楽しんだりするんだよ」と答えた。
これは「メキシコの漁師と億万長者」という冗談話なんだけどね。
この話をみると、旅行者の目標は金持ちになってゆったりとした生活をする。
漁師はお金持ちという概念がなく、もう最初からその生活をしている。
つまり見かけ上は同じ暮らしなんだけど、それぞれ全く違うよね。
つまりこの話で同じように、人間も迷いがあるから一生懸命修行して悟りを目指しているけど、無理に悟った見かけだけの悟りと、漁師のように最初からそんな考えはない悟りとは違う。
ここがこの公案の大切なところなんだよ!

この図を見ると、ネコはめちゃくちゃ勉強して、現代科学の粋を集めてついにスーパーネコマン(仏性)になった・・・とします。
これ、悟りですか?
ちがうでしょ?
たとえなったとしても、悟りとはいえないね。

けれどネコはそんなこと考えずに最初から迷って生活なんてしていない。
ネコはそもそも悟りとかそんなことは関係なく、全力でネコなんだよ!
それが本当の「無」という意味なんだ。趙州さんはこの「無」をいっているんだよ。
今日も全力のあなたでいればいいんだよ^^
トラップ・相対・不答話

この趙州さんもさすがはスーパースター!お坊さんの質問にちゃんと正解を出しているんだね。
「質問ているお坊さんは下で、答えた趙州さんは上」という具合に「上下トラップ」に引っかかってる。
これ、実はどちらとも悟っている者同士の問答なんだよ。
どちらとも悟っているってどういうこと?
お坊さんはこの2つの「無」を知っていたから質問して、趙州さんの「無」の方かー、と理解できているということなんだ。
これが最後のポイント、「不答話」なんだ。
もう最初からそのレベルでお互い問答しているんだということ。
以上、「趙州無字」の解説を終わります。
トラップ・・・人間と動物、趙州と僧
相対・・・・・有と無
不答話・・・・趙州と僧がお互い悟っている会話
最後まで見ていただきありがとうございます。
これからも仏教のことを頑張って皆さんにお伝えしていきます。
みていただければブログを書く意欲にもなります。どうぞよろしくお願いいたします。