
こんにちは。禅宗のお寺、潮音院和尚です。
テーラワーダの風4です。輪廻思想を信じる世界。
テーラワーダの風3はこちら(瞑想のコツもあり)
輪廻
前回はテーラワーダの国で日本仏教が少しでも認められ、価値のある旅として終えることができたお話でした。
ただ一つ感じたことは、なぜそれだけタイという国は仏教に篤いのかということです。在家の方が寺に無償で奉仕されていることや、寄進の規模、そしてお坊さんに対する接し方などです。
ずっと考えていると、お寺の方からタイでは仏教誕生以前からある輪廻思想を本当に信じているというお話を思い出しました。
輪廻の世界は、原始仏典では基本的に天、人、畜生、餓鬼、地獄の五道(後に修羅が加わり、六道となる)とされます。
タイの人たちは自分の食べ物よりも、お坊さんたちの施しをするもののほうが豪勢なんだね!
タイの人々はお寺に対してもビックリするぐらいご寄付しているんだよ。
功徳ポイントをためる気持ちが根付いているんだ。
輪廻する原因である「業」についてはこちらのニルヴァーナ御朱印をみてね。
命の価値
人は業によって、亡くなった後にいずれの世界に生まれ変わります。この思想を信じているということは、現世の間に何としても徳を積んで、良いところへ生まれ変わりたいと思うのです。
それはスーパーやコンビニで貯まるポイントなんて、まるで価値が違います。そして徳ポイントが貯められる、簡単で唯一の場所といえばお寺ということになります。
お寺にいるお坊さんは日常の世界から離れて出家生活を送っています。修行して阿羅漢(悟りに到達した者)になると、輪廻の世界から外れ、苦しみが無くなります。そのような修行者にお布施をするということは、自分の功徳として還ってくることになります。
日本では托鉢中、浄財をいただくときにしっかりと低頭しますが、タイのお坊さんは施しを受けてもまったく動ぜず、凛としているのです。

ついつい癖で合掌している私。タイのお坊さんはこの時に短いお経を読むだけ。
なぜなら村人に対して食べ物がほしいと気づかいながら行動するならば、それが執着となって気を取られ、修行の妨げとなるからです。執着こそ輪廻の原因である「業」。さらに村人からは媚びているように見られるそうです。
村人は施しをするときは履物を脱ぎ、お坊さんの前で恭しく五体投地(礼拝)をします。そしてお坊さんは、パート1の最初に紹介した随喜発勤偈というお経の一節を読むのです。

タモ寺で読む日本用のお経テキスト。
古代から伝わっている伝統と思いがあるからこそ、こういった姿が成り立っているのです。施しする方も受ける方も、本当にとても美しい姿で輝いていました。
ここではどんなにお金を持っていても貧乏でも、幸福でも不幸でも、必ず来世を想って人々は行動しています。だから命の価値が非常に低い。みんな平等です。来世に想いを繋いでいるのです。人々はおおらかで、微笑みの国といわれる所以はこうした背景によるものではないでしょうか。

境内を彩るオブジェや植物。このような境内の美観は、すべては寄付や訪れた信者によってきれいに保たれている。
認め合う心
最後に
だからテーラワーダの教えこそが正しくて、日本仏教は律がないからダメだ、とは言いません。それぞれ素晴らしい教えだから。これは仏教に限らず宗教を超えても言えることです。どの教えを選ぶかは皆さんの自由です。人が強制する権利はありません。
しかし人間は自分とは違った考えや生き方を除外する傾向にあります。結果、対立が生まれ、争いが起こるのです。この考えこそが無明(仏教の言葉で正しく世の中を見ていないこと)です。
今回の私の経験のように、これからの時代は違うものは違うものとしてお互い認め合い、歩み寄ることが大切なのではないでしょうか。お互いを称え、慈しみあう世界を伝えるために仏教があるのです。
私は仏教によって助けられ、このような出会いと経験ができました。仏教は本当にかっこいい。
このようなご縁をいただいた佐々木閑先生とダモ寺の方々、そして家族や私を支えてくださっている方々に感謝し、皆さまのご健康とご多幸をお祈りして「テーラワーダの風」第一部を終わらせていただきます。ありがとうございました。
「テーラワーダの風」第一部完
佐々木先生御講義。仏教の歴史やお経のことなどを大変わかりやすくお話されています。サムネ画はみしょくんデザイン担当の潮音院寺庭。