
こんにちは。禅宗のお寺、潮音院和尚です。
今回は私がタイで経験した話をいたします。タイと日本で、衣の形から生活まで同じ仏教なのになぜこれほどの違いがあるのか・・・。
日本とタイの仏教の違いをわかりやすく、そして瞑想や大事な教えなどを盛り込んでお伝えしていきます。
上の写真は和尚の雲水衣。草鞋に脚絆、そして網代傘。ボクのスタイルだね。
写真を見ながら読んでねー^^
テーラワーダの風1
アピワータナシーリッサ ニッジャン
ウッターパジャイノー ジャダーロー
タムマー ワッタンディ アユワンノー
スカン パラン
(常に礼節をわきまえ、年長者や栄えある者を敬う人には、四つの法が増大する。それは、長寿と美しさと幸福と力である。)
『随喜発勤偈』
2017年2月21日から一週間、花園大学の佐々木閑教授と共にタイへ。
簡単にタイという国を説明しますと、飛行機を降りて目につくのがまず国王の大きな写真。そして次に見かけるのがお坊さんの写真です。
コンビニに入ると、書籍のコーナーには普通にいろんなお坊さんの本が置かれており、ブロマイドまで売られています。
日本ではまず考えられませんね。それほど仏教が身近にあり、信仰の篤い国なのです。

上は故・プミポン国王関係の書籍。その下は高僧の法話などが書かれた本。ちなみにこの写真は7イレブンにて撮影。
タモ寺の境内

自然に囲まれ、穏やかな雰囲気が漂う美しい境内。
場所は北部のチェンマイから車で約2時間南下した村にある、プラ・プッタバート・タモ(以下タモ寺と略す)というお寺。
近くの集落の民族はカレン族といい、ミャンマーからタイ北部にわたって古来より生活しています。
ここには日本人の方がおられ、タイで出家されたのち、このタモ寺で生活されています。
佐々木先生は私の学生時代からの恩師であり、今回の旅は先生の原始仏教に関するご研究に随行させていただくご縁をいただいて実現したものでした。
先生のYouTube仏教講義
仏教の歴史やお経のことなどを大変わかりやすくお話されています。サムネ画はみしょくんデザイン担当の潮音院寺庭(私の嫁)。肩には「げだつくん」が・・・。
タモ寺は密林派にあたる宗派で、名前のごとく森の中にあります。どのぐらい密林かというと、半径3Kmは集落がありません。
サソリは出るわコブラは出るわで、足元を注意して歩かないと大変な目にあうようなところです。山全体がお寺の敷地になっており、お坊さんが生活している場所と、一般のお客さんが滞在できる場所に分かれています。
もちろん危険ばかりではなく、とてものどかで美しい所です。一番象徴的な建物は、白いお堂です。
実はタモ寺の訪問は2回目で、2年前に一度同じように先生に随行しています(2017年)。
なぜ再度ともいいますと、ここで是非叶えてみたいことがあったからです。それは、日本とタイの仏教の違いが関係しています。

密林にそびえたつお堂。こちらで朝のお経や瞑想が行われる。
ラーメンのたとえ
仏教は大きく分かれて2つの流れがあります。最初の場所は言わずもがな、インドですね。シャカ族の王子であったゴーダマ・シッダルタが出家し、人生の苦しみから解放するための真理を説かれたのが始まりです。
その教えはまず南に広がっていきました。現在のスリランカ、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアなどです(南伝仏教)。
その後、シルクロードが開通し、文化と共に北にも広まっていきました(北伝仏教)。ブータン、ネパール、中国、日本という具合に。この2種類の流れには大きな違いがあります。
まず北伝について、ラーメンで例えてみましょう(私が好きなものですいません)。
ラーメンには様々な種類がありますね。醬油、味噌、トンコツ、塩、そして最近ではつけ麺など。
これらは種類が違えどもラーメンには違いありません。
なぜこんなに種類があるのかというと、それぞれの味を開発した人が、その味を極め、広めたからです。
このように、北伝仏教も様々な種類があります。密教を信仰するもの、阿弥陀を信仰するもの、法華経を信仰するもの、我々禅宗では、坐禅をして内なる仏性を磨いていくという教えなどです。
同じ仏教なのに、それぞれ教えは全然違います。これは北に仏教が広まる上で様々な文化が融合し、時代や世情も相まって、このような結果となったのです。
この北伝仏教を一般的に大乗仏教と呼びます。
やがて日本に伝来するのですが、日本には一つ重要な事柄が伝わらなかったのです。
パート2に続く・・・