
こんにちは。禅宗のお寺、潮音院和尚です。
テーラワーダの風2です。お坊さんとして認められない私。
つぎは南伝仏教の説明。なぜ私がタイに行ったのか・・・、それぞれの仏教の違いをお話していくよ。
テーラワーダの風1はこちら
律について
次に南伝につて説明します。
またラーメンの話に戻りますが、南伝はしょうゆ油ラーメンを大切にしています(私はしょうゆが好きなのですいません)。
その伝統ある醬油にあたるものが、「律」といわれるサンガ内での規則です。サンガとは僧団のことをいいます。
仏教には、経(シャカの説いたことば)、律(サンガでの規則)、論(教義を検討した論書)の三蔵といわれる聖典があります。
いわば仏教の骨子です。シャカは仏教を未来永劫伝えていくためにはどうすればよいか考えました。そこでサンガを組織化し、骨子の一つである律を用いることによって、円滑に出家生活を送ることができると思いつきました。

律によってサンガを統制していけば、シャカが亡くなったあとでも仏教は廃れないと考えたのです。
律の内容は、例えば人を殺してはいけないという当たり前のことから、托鉢でいただいた食事は午前中のみで、午後からは口にすることはできないとか、新月と満月の月2回、布薩堂(大事な儀式を行うお堂)で反省会をしなければならないなどの、大小様々な出家生活規則です。

つまりシャカが説いた律を2500年間守り続け、最終的に阿羅漢(あらかん)悟りを得た者となることを目的としている伝統的仏教が、南伝仏教なのです。※阿羅漢を目指して出家する意味はこちら、ニルヴァーナ御朱印で説明しています。
別名上座部仏教といわれ、上座部とは長老が上座で法を説くという意味。
あちらの言葉ではテーラワーダといいます

現地のお坊さん(比丘)と。衣の色から形までがまったく違う。手に持っているのは、托鉢に使用する鉢。
タイと日本の違い
以上、北と南の違いを簡単に説明しましたが、先ほどの重要な事柄というのは、なんと日本にはこの律が伝わっていないということです。
なぜかというと、日本にとっての仏教は国家形成のためのツールとして導入された新思想だったから。
当時のお坊さんたちには僧団(サンガ)を形成し、律を守って生活することは不必要で、国家公務員のような存在でいてほしかったのです。
ちなみに古代奈良仏教には律宗という派がありますが、これは大学でいう学部みたいなもので、律を学ぶための機関にすぎません。唐招提寺は、授戒のために鑑真が持ち込んだ律を祀るためのお寺です。
この律によるタイと日本の違いこそが、今回の旅の大きなテーマでした。テーラワーダでは律を守っていない日本のお坊さんは、お坊さんではないとなるわけです。
もちろんタモ寺でもこの律を遵守しています。よって私は1回目の旅では在家(一般の人)として扱われました。
お坊さんの住居をクティといい、さきほどいったように在家が使う居住地よりも離れた場所で寝起きしています。それから朝課、夕課もお坊さんと在家の座る場所が分けられており、読むお経の部分も多少違います。
托鉢では近くの集落に毎朝食物をもらいに行くのですが、お坊さんは鉄でできた大きな鉢に食物などの施しを受けます。これらのことすべて、在家として行動しなければなりませんでした。

お坊さん専用の建物「クティ」。写真ではマントが干されている。
お坊さんとして認められない
特に衝撃的だったのは、托鉢でのこと。
私はその時作務衣姿だったのですが、鉢はもちろん持たせてもらえず、お坊さんの鉢がいっぱいになったら、運びきれない食物を入れるための頭陀袋を持たされました。
私も少しは村人から施しをいただけるものかと期待していたのですが、村人からはただ不思議そうな目で見られ、完全にスルー。
村人からも相手にされない日本のお坊さん。お坊さんとして生まれてきた私が、同じ仏教国であるタイで通用しないという現実・・・
私の存在意義を否定されるような出来事です。それが悔しくて、この時に味わった情けない思いを2014年から3年間、ずっと持ち続けていました。
私の叶えたい願いとは、この2回目の訪問で、本気で日本の僧侶として認めてもらいたい気持ちになったのです。
次回はどのようにして生活したのか、そして私の願いは届いたのかをお伝えいたします。

2014年、初めてのタイ。作務衣姿でお坊さんとしてではなく、付き添いという形で托鉢。
パート3に続く・・・