タイ

テーラワーダの風③~タイのお寺で願いが叶う/あなたにもできるやさしい瞑想のやり方~

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

こんにちは。禅宗のお寺、潮音院和尚です。

テーラワーダの風3。お寺の生活と旅の最後。

テーラワーダの風2はこちら

テーラワーダの風3

前回は日本のお坊さんである私が、テーラワーダの仏教国であるタイに来た経緯をお話しました。

どうすればタイでお坊さんとして認められるか、身なりから考えました。

恰好は雲水時代の麻衣で草鞋姿。上の写真のスタイルです。

そして律に従った生活送ることとなりました。

雲水くん
雲水くん
日本にはたくさんのお坊さんがいるのに、誰一人として律の規則に則った生活はしていない・・・。

ボクたち禅宗には「僧堂」という専門道場があって、それなりにしっかりと規律を守って生活しているけれど、それでも律とはちがうんだよね。

和尚
和尚
そうなんだよ。日本の禅宗では「百丈清規(ひゃくじょうしんぎ)」といって、中国の禅宗の儀式・規律を定めたものの一つが使われて、雲水たちは修行しているんだよ。

さて、タモ寺の生活をお話していくよ。

タモ寺のスケジュールは、自然の岩でできた山奥にあるクティという僧坊から、朝4時の朝課に間に合うよう真っ暗の中、懐中電灯の灯りのみで、白いお堂まで歩いていきます。

明け方の白いお堂。中には仏足石が祀られている。

 

お堂で1時間の瞑想をしたあと、約30分の朝課。パーリ語という古代の言葉でお経を読みます。今回はお坊さんとして上座に座らせていただきました。

この白い立派なお堂、実はある実業家一人だけの寄進で建てられたものだそうです。その他の建物もすべて信者さんの寄進です。規模が違いますね。

お坊さんが建てた純粋なお堂はといいますと、前回紹介した布薩堂だけで、外見はただ板を貼って屋根がついただけの質素な建物です。これも律の規定に基づいて結界を設け、そこに建てられています。

布薩堂で懺悔の儀式をする比丘(お坊さん)。質素なつくりの建物。

 

朝のお勤めが終わり、6時から托鉢です。やはり鉄の鉢は使わせてもらえないので、今回も頭陀袋です。托鉢は3組ほど分かれて、毎朝約3km離れた集落まで必ず歩きます。自給自足はしない。ここに、本来100%布施に頼るという仏教の教えがうかがえます。

托鉢ではいろんな動物に出会います。

 

托鉢後はいただいた食物を、寺に従事している在家の方が調理し、それをお坊さんたちは鉢に入れて食べます

この在家の方々をウパーサカ(優婆塞 うばそく)※女性はウパーシカ(優婆夷 うばい)といい、彼らはお坊さんのできないことをする役割を担っています。できないこととは、律で禁止されていることです。お坊さんは直接お金に触れたり、食物を調理することは禁止されています。

お坊さんたちに食事を提供するウパーシカ。

 

こうしてウパーサカの人たちに助けられ、初めて口にできるのです。私たちはそのあとで残り物をいただきます。残り物といってもかなり豪勢です。カレン族はベジタリアンなので肉料理はありませんでしたが、野菜、果物などを使い、タイ料理特有のスパイスの効いた味付でとても美味しいです。

質素な食事かと思いきや、けっこう豪勢。調理はもちろんウパーシカの方々。

ジャックフルーツと夜の瞑想

は暖かい国なので、果物が豊富です。パパイヤなどが普通にお寺の境内に生っており、棒で突き落として毎回食後に食べていました。

私の苗字は鈴木というのですが、芸能人にはパパイヤ何某という方もおられますが、私が本物です。

たった1人の資産家の寄付によってできた巨大なお堂。こちらはパパイヤの木。

そして、様々な果物の中の一つにジャックフルーツというものがあります。大きさは人の頭ほどで、重さは5kg以上、表皮は硬くて小さなギザギザで覆われています。これが熟して高い木の上から落ちてくるのですが、当然危険です。

気の毒にジャックフルーツに当たって亡くなる人もいるそうです。しかし外見はゴツいですが、中身はとてもジューシーで、例えるとバナナとパイナップルを掛け合わした瑞々しいカスタードのような味わい。

ガ〇ダムのザ〇の肩に付いている、ギザギザのような実。

   

見た目とは裏腹なジャックフルーツの果実。忘れられない味。

 

この美味しさに私はハマったのですが、味もさることながら、お寺にとっては大変貴重な木でもあるのです。

お坊さんの茶色い衣は、このジャックフルーツの木を細かく刻んで、煮だした汁で染色されるのです。これも律の規定に書かれており、今回特別にこの染色作業を体験させてもらいました。

私の衣の肩の部分が托鉢の途中で綻びてしまい、この茶色の一切れをもらって修復しました。

食事のあとは各自自由となりますが、勉強会や、カレン族が山の上に建てた仏塔の見学などをしました。

夕食が済んで、六時半から野外で夕課、そして瞑想。この時間帯が一番素晴らしく、日が落ちてゆく中、美しく神秘的なパーリ語で読まれるお経が外に響き渡ります。

それはまるで仏法がお経という音色と共に、世界に溶け込んでいくような感覚です。その感覚を維持しながら瞑想に入ります

私もまがりなりにもこれまで坐禅をしてきましたが、更に瞑想のスキルが一気に上がったことを実感しました。このテーラワーダの風に包まれたからです

外で行われる夕方のお経と瞑想の様子。

 

ここで少し坐禅のコツをお伝えしましょう。

座り方や呼吸などは、本やインターネットを調べればすぐにわかりますので割愛します。

大切なのは感じること。

人間の感覚器官、特に音やにおい、皮膚に触る風を感じる感覚です。

今一瞬のできごとを、瞬間瞬間(刹那)に分けて感じていきます。

あ、いま風があたったとか、いま風鈴の音が入ってきたとか。

ここで大切なのは、どの感覚もすべて素直に受け入れること

なかには痒みや不快な音、においもあるでしょう。それも嫌悪せず、すべて自分の純粋経験として受け入れるのです。

そうすれば自ずと外界と自分の区別がなくなっていき、自他共に一つとなれるのです。「色即是空 空即是色」「一即一切 一切即一」の境涯です。

瞑想はお寺などの特別な場所だけで限られてするものではなく、いつでもどこでも簡単にできるのです。

但し、車の運転中だけはあまりオススメしませんが。

さて余談が続きましたが、あとは寝るなり勉強するなり、瞑想し続けるなりして翌朝まで自由です。

瞑想のコツ

瞑想のコツ
  • 二つ折りにした座布団(クッションでもよい)の上にお尻をのせる。
  • 右足の甲を左太ももに乗せ、逆も同じようにする。できなければあぐらでも可。
  • 背筋をのばし、肩の力を抜いて、アゴを引く。この時の目は半眼(閉じない程度)で約1メートル先を見る。
  • 時間を映画の一コマずつ分けるイメージ。その一コマに一感覚とする。例:腕に風が当たる(一コマ)虫の声(一コマ)
  • それぞれの感覚を良い感覚、嫌な感覚ととらえず、純粋経験として受け入れること。
  • これを続けていくと、自分と外の世界がひとつになる。

これがタモ寺での生活でしたが、肝心の托鉢で、村人の反応はどうだったのでしょうか。やはり最初の5日間は無反応でした。

もはや諦めかけていたのですが、最後の6日目の朝、突然その時がやってきたのです。

歩いていると、いつも前を通っていた雑貨屋のおじさんが何気に入れてくれたのです。それから続けざまに、周りの大人から子供までもが、どんどん入れてくれはじめました。私の願いが叶った瞬間でした。

どの世界でも懸命に信念を貫いて行動すれば、どんな格好をしていても人の心は動くものなのだと実感しました。

最後の托鉢。はじめてお坊さんとして認められた瞬間。

次回第1部最終回。

パート4に続く・・・